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2007.10.29 (Mon)

チャンドラ・ボースの思い出(part25スレ)

226 名前:日印交流小史 :2006/05/18(木) 00:09:50 ID:V4Zuwp+L
流れを読まずに某スレより転載。
日本人とインド人の交流話。

5人で連れ立って飲みに行ったのは、私の行きつけの、
80超えた爺さまがやってる小料理屋でした。
Hさん(インド人女性)は戒律でお酒が飲めないので、
もっぱら食べる専門でした。
インドで有名なのは「牛はダメ」という戒律ですが、
彼女の一族は肉食もダメ(地位の高い一族のせいか、基本的に肉類一切不可)らしいです。
あらかじめ店主に話を通しておいたので、サラダや揚げ出し豆腐、
枝豆のおろし和えといった菜食メニューを用意してもらったので、
彼女も大喜びでしたね。
というか、あれだけ食って
よくあのスタイルが維持できるもんだ・・・

一方、Sさん(Hさんのお兄さん)は平気で酒飲んで肉食ってたんですけど、いいのかなw
もちろん、牛は食べてません。野外で育てた地鶏だけです。

S「このチキンは素晴らしい、インドのチキンに負けない!」(英国英語&初級日本語)

さらに、日本酒はどの国の酒よりもスマートだとべたほめで、「ダイスキ、ダイスキ」を連発。
おかげで、店主の爺さま大喜び。
勘定も格安にしてもらえちゃいました。

しかし、インド美人とインド紳士が、畳の上に正座して、
割り箸で和食をつついている光景は、
実にシュールで印象的でした。
なんというか、メトロン星人がモロボシダンと
会話しているシーンみたいなw


227 名前:日印交流小史 :2006/05/18(木) 00:11:41 ID:V4Zuwp+L
店/お客さん、インドの人かね?
S/ハイ、ワタシインド人です。
私/この人はね・・・(以下、Sさんの簡単な紹介)
店/ああ、私ね、戦争の頃、インドの人と会ったことがあるんですよ。
みんな勇敢でね、独立のためにどんな厳しい訓練にも弱音を吐きませんでしたよ。
私/ええ? インドって言うと、まさか、インパール作戦で!?(ちょっとミリオタ)
店/いえ、恥ずかしながら直前に病気にかかって参加はしませんでしたが、チャンドラ・ボースという人と・・・
S/おお! ボース! 我らが誇り! あqwせrtyふじ(多分インドの言葉)
店/あqwせdrftgyふじこlp;@「((多分、カタコトのインドの言葉)
S/sうぇdrftgyふじこlp(インド語?)

私/(呆然)

驚きました。

228 名前:日印交流小史 :2006/05/18(木) 00:13:30 ID:V4Zuwp+L
前回の飲み会以来仲良くなった私とSさんは、
今日も今日とて例の小料理屋に繰り出します。
…というか、Sさん、仕事中に私の携帯に
「またチキンとオサケ食べに行きませんか!」って
私用電話を入れてくるのはどうかと思うのですがorz
でも、今回は割り勘でなくて、
Sさんのおごりだというのでホイホイついて行ってしまった私も
どうかと思いますけどね。

さて、店主にまた「インド人連れて行きますよ」って話したところ、
親父さんもノリノリ。

店主/おお、またあのインド人のひとがくるなら、歓迎しますよ
私 /すみません、毎回ご面倒かけて
店主/いえいえ、今日は見てもらいたいものもありますから
私 /なんですか?
店主/ははは、久々に若い頃に戻ったつもりで、
料理も力入れますから!
私 /えーと、お手柔らかに(汗

というわけで、待ち合わせしてSさんと合流しました。
Sさんは今日もびしっとスーツで決めています。
…暑くないのかな。

229 名前:日印交流小史 :2006/05/18(木) 00:14:31 ID:V4Zuwp+L
まず、店主が出してきたのは…カレーでした orzコノムシアツイノニ
それも、市販のルーで作ったとろりとしたカレーじゃなくて、
チキン(地鶏)の入った本場物のスープみたいな、
あまり辛くないカレー。
もちろん、ご飯じゃなくてナンがついていました。
突き出し代わりでにカレーかよ! と突っ込みたくなる私でしたが。

S /OH! ベリーグッド!(むさぼるように食う!食う!食う!
店主/これはね、チャンドラ・ボースやインド国民軍のマハネスンって大尉にも食べてもらったんですよ(遠い目
私 /そういえば、親父さんはチャンドラ・ボースに会ったことがあるって言ってましたね?
店主/ええ。むかし、軍隊にいた頃にね(遠い目

店主曰く。店主は、北陸のほうの小さな温泉で代々料理人をしている家に生まれたそうです。
そして、出世のために士官学校に入った後、南方に送られて、そこで上官の中村大尉という人から、
前線で兵士に美味いモノを食べさせるにはどうしたらいいか
(現地の食料や、自生している植物で日本人の口に合う料理を作る方法)研究するように言われていろいろ研究していたそうです。
正式な料理担当ではないそうですが。

230 名前:日印交流小史 :2006/05/18(木) 00:15:35 ID:V4Zuwp+L
チャンドラ・ボースと出会ったのは、
マレーへ攻め込んだ後だそうです。
出会ったのは、ボースと中村大尉から、
今後インド独立支援のために、イギリス軍に支配されている
インド兵を組織する。その一環として、言葉による説得だけでなく、
彼らにインド料理を食べさせて、
自分たちを味方だと認めさせるための作戦に従事するよう命じられた時だそうです。そして、本格的な
インド料理の作り方を学ぶように命じられたそうです。

店主は、日本の戦争遂行のために無辜の民を胃袋から支配するのはどうか、と抗議したそうです。
ですが、ボースからも
「支配されるのではなく、白人と戦う同志として手を取って戦うためには、同じ釜の飯を食うことが何よりも大事だ」
と説得され、ボースの見つけてきたインド人の協力者から、
部下共々インド料理や、インドの食事の際の
風習を一生懸命に学んだそうです。
マレーでイギリス軍を追い払った後、
多数のインド人を捕虜として確保し、彼らを組織するために、
インド人の指導者として信頼されていた、マハンスン大尉という人と会談する時に、その料理の腕をふるい、
大いに感銘を与えたのだそうです。

…一部には、皇軍の士官とあろうものが料理を手づかみで食うなどと、って声もあったそうですが、
「郷に入っては郷に従え」という中村大尉の一言で黙ったそうです。

231 名前:日印交流小史 :2006/05/18(木) 00:16:42 ID:V4Zuwp+L
その後、店主はインド人を訓練する任務に従っていたのだそうですが、訓練中の怪我がもとで病気(破傷風か?)になって本国へ送られ、
インパール作戦には従事しなかったそうです。
そして療養中に終戦を迎え、
結局南方に戻ることはなかったそうです。
戦後、ボースが飛行機事故で
死んだことを聞いた時は男泣きに泣いたとか…

店主/このカレーを作ったのは、戦後初めてですよ。
残してきた上官や戦友と、私の料理を食べながら
ウマイ、ウマイってカタコトの日本語で喜んで、
にこにこして食べてくれたインドの兵隊のことを
思い出してしまって…(涙
S /アリガトウ、英雄のトモダチの話を聞けて、
ワタシは嬉しいです(涙
私 /(泣きました、マジで
店主/すみません、昔話ばかりしてしまって(涙
S /NO! ボースもきっとアナタのことを
誇りに思っているでしょう!(涙

というわけで、今回の飲み会は、
店主の意外な過去の話がメインになりました。
その後、店主の古いアルバムを見せてもらったり、
Sさんのインドの歌を聴かせてもらったり、
店主とSさんが古い軍歌を歌うのを聞いたり。

店主の持ってきたアルバムの、セピア色の写真の中でいつもむっつりしている店主が浅黒い肌のインド人や
真面目そうな兵隊さんの間で誇らしげに笑っている写真や、
厨房(といっても、掘っ立て小屋みたいな建物)で
巨大な鍋の中身をかき回している写真を見せてもらって、
また涙したりしました。

…そういえば、Sさんはどこで軍歌なんか覚えたんだろう…?
17:01  |   |  トラックバック(0)  |  コメント(2)
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Comment

目から水が…
おさかなくわえた名無 |  2009.02.10(火) 12:28 | URL |  【編集】

軍板に貼っても通用するぐらい
濃い話ですね・・・
名無し超速報! |  2008.09.28(日) 07:24 | URL |  【編集】

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